2017年4月3日月曜日

私の前提、あなたの前提

ここ数年、レッスンやらセッションという形でたくさんの方にお会いしてきました。
それは多分、こういうことをしなければ会うこともないであろう方々、
もちろん友達になどならなかったであろう方々がほとんどではないかと思います。
そこでわかったのは、
私なんかがあって当然と思っていた「好きなこと」や「興味のあること」が、
全くないという方が本当にいらっしゃるということです。
これは、「好きなこと」や「興味のあること」がある側からしたら、
大変理解しがたいのですが、でも実際、そうなのです。
そういうのがない方はいらっしゃるのです。

つい先日の、「学問は役に立つのか」という問題に対するいろいろな周辺のざわめきを
聞くにつけ、この質問も、前提条件がはっきりしないと、
ちゃんと答えられないたぐいの質問なのだと思うに至りました。
学問は役に立つとか立たないとかそんなの関係ない、だって知的好奇心を満たすためにやるのだから、という答える人の前提は、「人間には好きなこととか好奇心がある」というものなのですが、
そもそも役に立つかどうか聞いている人の前提は、
「知的好奇心とかない。自分の行動指針は役に立つかどうかだから、それが重要」
という前提なのです。

何でも知りたくなっちゃう私みたいな側の人は、
役に立つとか立たないとか考えません。
知ることが目的だから、その結果、役に立つとかどうかどうでもいい。
けれども、そもそも好奇心がほとんどない場合は、役に立つかどうかがとても重要になってきます。

何をくどくど書いているかというと、
最近、質問とその前提条件、そしてその質問者の背景について考えていて、
これをはっきりさせないと、誘導尋問みたいになってしまって、
ひっかかってしまうから。

で、「好きなこと」と「興味のあること」ですが、ない人には全くないらしいです。
そして多くが、これがいつかやってくると考えているみたいだけれども、
それは白馬に乗った王子と同じぐらいの確率でしかこないでしょう。
こないものを待っていてもしょうがないです。
そんなものはこない、ないという前提で行動するのがよいのではないでしょうか。
そして、そんなものはないという前提で、
いろいろな人に会ったり、行動したりしているうちにたまたま好きになったもの、
興味を持ったものが「好きなこと」と「興味のあること」で、
それはだから、採掘しないと手に入れられない鉱物だと考えると、
掘ってないうちは見つからないということがわかるのではないかと思います。