2017年4月14日金曜日

ないのは外側じゃなくて内側

手の仕事の跡が少なければ少ないほど、
人々はより早く消費します。
ファストファッションもそうでしょう?
冷凍食品の料理。
それから、あの例の剽窃サイト。
そこに人々は存在の軽さを見てとる。
「大事にしようと思います」とは、言いません。

だけれども、その大事にしようとは思わないもので、
自分を多く取り囲んでいる人たちもいます。
そして、そんなにたくさんあるにもかかわらず、
ない、ないと言う。
そして、次へ、次へといこうとする。
もちろんすぐにでもその次は差し出されるけれども、
それでもまだ言う、ない、ないと。

ない世界に住んでいる人。

本当にないのは本当に外側なのかしら?

内側にないのだったら、
外側にもないでしょう。

中に見つけられないのだったら、
外にだって見つからない。

内側にある人にとっては、
選択肢がたくさんあって、
今はそれを自由に選べる時代だから、
それを選ぶことができます。
また創意工夫もできるから、
ないならないなりに作りだす。

内側にあるから作れる。

こんなに服がたくさん売っていて、
こんなに読む本がたくさんあって、
材料も道具も売っていて、
情報にもアクセスできて、
それでもないと言うなら、
ないのは外側じゃなくて、内側。

ただ、内側にないって認めたくないのですよね。
認めたら、壊れるような気がして。
けれども、認めて、降伏したら、
次の道は見つかるでしょう。
(見つけた人たちを知っている)
そろそろあきらめたら?