2017年4月11日火曜日

飢えの対処法としての手作り

やっとひといきつけました。
ファッション関連のブログにもかかわらず、
写真もイラストもない。そんなブログにお付き合いいただき、
皆様、どうもありがとう。

で、インスタグラムはできるようになったんだけれども、
みんな、見たいのかしら?
私、これ買いましたとか、自分撮りとか、アップしませんけど。
しかもあんまり出かけないんで、たいした写真は撮れません。
いつだったかのブログで、イラストは下手すぎる(と思っている)んで却下と書きました。
今から練習するのか・・・(もうちょっとね、なんとかね。ああー、すみません・・・)
まあ、いろいろ疑問ですが、これからちょっとずつ改善していきたいと思います。

それで、です。
手作りの痛みについて書いたら、
機械生産と対照的なものとしての手の重要性について論文やら、
研究やらあるそうで。
それはそうでしょう。
シモーヌ・ヴェイユもそうですし、ガンディーもそうです。
私たちは手で何か作ることによって、
1万年の人類の歴史にアクセスすることができる。
だって、ずっとそうやって、人は何かを作ってきたわけだから。
機械生産などというものは、ごく最近の話。

身近なところで、女性がかかわるものは食べ物と衣服。
男性だったら、なんでしょう。家を建てるとか?

便利、効率の名のもと、
私たちはすべて出来あいのものに囲まれているわけですけれども、
そうすると、この人類1万年から切り離される。
切り離されたらどうなるか。
いろいろ感覚が狂うでしょう。
その1つが現実誤認と未来がわからないということ。
過去につながればつながるほど、未来が予測できます。
切り離されればされるほど、わからなくなり迷うでしょう。

もちろん、手で作るということにはそれ以上の何かがある。
(だって、研究しているぐらいだから、あるに決まっている)

たくさん服を持っているのにまだ満足できない、飢えているというその飢餓感は、
ここら辺とも関係あるのではないでしょうか。
マクドナルドばかり食べていたら病気になる。
服だってそう。
マクドナルドのような服を毎日着ていたら、
精神の病になるでしょうよ。
そんなことをしていても、その飢えは満たされない。
(というのも、そんなマクドナルドで服を買うような人たちを見ていると、
けっこう買っている。満たされないから買う。マクドナルドで肥満になるように、
ワードローブも太っている。)

痛みは過去だ、いつでも。
手作りも痛み、つまり過去だけれども、
美術もいつでも過去。
飢えの処方箋は、やはり過去の痛みなのかもしれない。




そんなわけで、土曜日、編み物部始めますが、
まだ入れますので、お暇な方はどうぞ。
私はスヌードを編みます、はい。