2017年3月29日水曜日

泣きながら作る服

初夏から真夏にかけて、コットンオーガンジーでできたノースリーブのブラウスばかり着ていたら、
妹より、もうそろそろやめにしたらとついに言われました。
確かにそうなのだけれども、かわりがないので探していたところ、
先日、やっと、薄手のコットンで、
しかもノースリーブという代物を見つけ、買ってみたのですが、
これがよく見れば見るほどすごいつくりの服なのです。
複雑なデザイン線、切り替え線の多さ、
立体的なつくり、
どうやったらこうなるのか、簡単には想像できない裏の構造などなど、
一筋縄ではいかない服です。

これを見ていた妹が、
「これってさ、ブンカの学生が泣きながら夜なべして作る服に似てるよね」と言いました。
そうですよ。
私らブンカの学生はこういう複雑なデザインを考えて、
毎晩夜中の1時まで宿題をし、泣きながらパターン作ったり、切ったり、縫ったりするのです。
で、そういうのが素敵な服だと思って、
そういう素敵な服をみんなに届けるのが使命だと信じてずっとやっていくのです。

一方、現在売られている服の中に、このような「泣きながら作る服」は多くはありません。
先日も20代のクライアントさんが、
「似たような服しか売ってないです。買えないです」ということをおっしゃっていましたが、
これは本当にそのとおりです。
特に若い人向けはこの傾向が顕著です。

なぜそうなったかというと、マーケットの意見を重視しすぎたからだと思います。
マーケットの要望は、
何にでも合う靴、
楽ちんな服、
ウエストがゴムの服、
どこへでも着ていける服とか、
大体そんなもの。
要するに、楽したいのよ、手っ取り早くおしゃれに見せたいのよ、
何にでも合わせたいのよって、
そんなのばっかり。
それに対して、はい、はい、そうですよね、
ウエストはゴムにしましょう、楽ですよ、考えなくていいですよ
に対応したデザインの服ばっかり作っていたら
こんなことになっちゃったのでしょう。
マーケットは絶対に正しいというわけではありません。
大体簡単なほうへ、楽なほうへ、怠惰なほうへ流れます。
その結果、デザインはやせていき、貧弱なものばかりが並ぶ店頭になりました。

「泣きながらつくる服」をつくり続けるのは、日本では少数派。
しかもなかなか売れません。
外国にはたくさんいて、まともに泣きながら作る服を作って売っていますが、
それを手に取る日本の人もぐっと少なくなりました。

確かにね、精神的に鍛えられていないと、
こういう「泣きながら作る服」は着られません。
理解力がないと、手に取ることもないでしょう。

しかし私はこの「泣きながら作る服」に再び出会って、
こういうものをこれからもより多く選んでいこうと改めて決意しました。
(って、前からそういう傾向だけれども)
私はこういう服を作る人たちを理解できるし、
彼らの熱意にこたえられます。
そういう人が少数派だったらなおのこと、
私はそちらの少数派になりましょうぞ。

ちなみにこれは、私には着られるけれども、ほとんどの人には着られない服です。
私はこれからもそういうものを選ぶ。
そしてそれがどんな服か知りたかったら、
私にじかに会う以外、知る方法はありませんので、
よろしくね。