2017年3月28日火曜日

何にでも合う靴と鞄問題

まだ探していますね、何にでも合う靴と鞄。
私のブログにどういう検索ワードでくるのかいつもチェックするのだけれども、
毎日これが1つ紛れ込んでいます。

この答えは、
「物理的にはあるけれども、文化的にはない」です。
同じ靴でどこにでも行くのは物理的にできるだろうから、
したければしてもよいけど、それは文化じゃないよってこと。
だって、犬だって、猫だって、
同じ足のまま、どこでも行くじゃない?
同じです。
物理的には行けるけれども、それは動物レベルで、
文化的じゃないねって話。
だから、どこへでも同じ靴で行く人を見たら、
ああ、犬や猫と同じだね、そうなんだね~と思えばいいわけ。

じゃあ、なんでそれを探すのって言ったら、
誰かに「何にでも合う靴は○○なので、それでどんな格好のときも
どこへ行ってもいいです」って言ってもらいたいからでしょ?
で、誰かに何か聞かれたら、
「だって、○○さんが言ってたんです!」って、その人のせいにしたいのよね。
うちにもよくそういうふうに言う人がくるわ。
自分の選択を誰かのせいにしたいだけの人がね。

これはすべて同じこと。
私が選んだんじゃないんです、○○さんがそうしろって言ったから、
似合うって言ったから、
その色以外変だって言ったから、
だから、だから、そうしてるんです!
私のせいじゃないんです!

そんなふうにいくら誰かのせいにしたって、
実際に買ったり、選んだりしたのはその人自身。
しかも簡単に変更できるのに、変更しなかったのもその人自身。
誰かのせいで責任逃れしようとしても、
それはしょせん無理な話。

たぶんそれは人生の態度の問題。
何でも誰かのせいにしたいのね。

そういうのは脇役人生っていうの。
主人公は、自分が着る服ぐらい自分で決めて、
失敗したら、自分で変更できる人です。
他人のせいにする人じゃありません。

脇役になりたい人はけっこういるみたいだわね。
別にそれでもいいけどね。