2017年3月15日水曜日

扱っている階層の差

誰かが物事には階層があって、
そのどこの層について話しているのか明確にしないと、
議論がかみ合わないということを書いていましたが、
まさにそのとおりで、それはファッションについても言えることです。

基本的に、
ファッション学校の生徒たちは、
服作りの階層についての勉強をし、情報を集めます。
そこには、着やせするとか、着まわすとか、何にでも合わせるとか、
そんなことは含まれていません。
それは階層がずっと下で、デザインを考えたり、作ったりする段階の話ではないから。
だから、そういったことが載っている雑誌を買ったり見たりもしません。

きのうファッションの切り抜き用にちょうどよさそうな雑誌を買って、
ぱらぱらと見たのですけれども、
何ともげんなりする感じで、
(例えば、ウエストはゴムで楽だとか、このスニーカーでどこへでも行けるんだとか、
あと、○ニクロのシャツが「立体裁断」だとか書かれていた日には、
服作りについてわかっていないにもほどがあると。
立体裁断とは、身体に生地をはわせて裁断しパターンを作る方法。
そんなことをしていたら、大量生産なんてできません)
何だろうこの感じは・・・と思ったら、
それがまさに階層の問題で、
余りにも扱っている層が違ったのでした。
大雑把ではありますが、作る側が扱う層と、
それを売る側や、例えば作られたものを扱うスタイリストなんかでは、扱う層が違うし、
考えていることも違います。
扱っている層が違うのに、こちらの層の側について、しかも間違っていることを
さも知っているかのように記述しているのを見ると、たいそうげんなりします。
実際に見たこともないのに見たことがあるかのように言う、その行為。

まあ、ウエストをゴム仕様にして、そうしたら売れるということで、
大量生産したいデザイナーなんかは考えるのでしょうけれども、
そうやってここにポケットをつけたら売れるとか、
このひもはとってしまえとか言っているあいだに、
「モッズコートのようなもの」が、しまむらで売られることになるのでしょう。

ただ、世の中はこの層の人たちの声が大きくて、
それはどうしてなんだろうと考えたら、
それはなぜかというと、作る側にいた人たちが、日本においては服を作るという以外の方法で、
ほとんど発言していないからです。
していたとしても、全然届いていない。
デザイナーの声が本当に小さくなってしまって、
デザインに対する哲学みたいな声が聞こえなくなりました。
どこかで言ってはいるのでしょうけれども、無視されている。

なぜ無視されるのかと言ったら、選ばれない、つまり売れないと、
どなたかが判断したからでしょう。
そのかわり台頭してきたのは、もっとイージーな考え方。
もっと楽で、何にでも合って、頭を使わない方法、
そしてそれが多くの人に支持された。

けれどもその支持したはずの人たちが言っているのです、
「服が売ってない」って。
なぜなの?
私はそっちの、楽で、努力しない側じゃないので、その理由はわかりません。
→わからないって思ったけれどもわかった。つまり、それはその夢はかなわないからだ。
だって、何にでも合う靴なんて、ないもん。

ただ、そろそろそれを終わらせないと、
文化としてのファッションは作れないです。

そういう雑誌には、ファッションと女性の自由と権利の関係の記事なんて、
一切ありません。
文化度、成熟度の差と言ってしまえばそれまでだけれども、
本当にそれでいいのかなと思います。

 ☆「ファッション・レッスン」のお知らせはこちらです。