2017年3月12日日曜日

脇役人生

私はいつも、みんな、自分の人生の主人公になろう!と言っていますが、
中にはそうではない人もいるらしい、ということは何となくわかります。
そんな話をしていたら、
「脇役になりたいんです」という人が出てくる小説があるよということで、
読んでみました。

主人公ではないその登場人物は、
私は才能がないので○○さん(主役の天才ギタリストの男性)のサポートがしたい、
○○さんが主役で、私がその脇役の人生を送りたい、
というようなことを言います。

何か昔の女性の役割みたいな感じで、
共感もしませんが、
まあ、そういう人がいるのはいいとして、
問題なのはその先です。

その脇役人生、ってつまり、その天才ギタリストの妻になることなのですが、
を達成するために、とんでもない偽装工作をやらかすのです。
それはないです、いくらなんでも。

お話ながら、ひどい、この人と感じつつ、
実際にいるかもしれないとも思いました。

私、脇役になりたいんですと開き直りつつ、
自分の目的の達成のためには不正をもいとわないという。
私、主役じゃなくていいんです、脇役でいいんですという
謙虚を装いつつ、やることは汚く、かつ無責任。

脇役でいいんですという、その人生丸投げ感が、
そして結果的に多くの人を傷つけることになるその無責任が、
私だったら、その人とは一番付き合いたくないと思わせます。

この小説は、その偽装がばれて、
主人公の2人は何となくいい感じになって終わるのですが、
この嘘がそのままばれなかったというのが、
こっちは私の好きなイアン・マキューアンの「贖罪」。
あちらのほうがいつまでも忘れられない物語。
その嘘は、一生かけてつぐなうほどの罪。

 脇役人生の目的達成のためについた
その嘘は、誰かの人生を変えるだけではなくて、
死に至らしめるかもしれない。
自分の人生の主役じゃなくていいんです、
脇役人生なんですと開き直る人には、
そんな危うさを感じます。

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