2016年11月4日金曜日

見ることの積み重ね


きのう行った大田区の龍子記念館は、
川端龍子さんが自分で1960年代に建てたものです。
たぶん、当時の最先端のスタイル。
ですから、床が高床式になっていて、
ピロティになっています。
ピロティというのは、上野の西洋美術館の設計者である、
コルビジェの提唱したスタイルです。

で、きのうは、こんなふうに横軸に、
そして同時に縦軸にも理解していないと、
本当のところは理解できないよという話をしました。
これは画家だけの話ではなく、
すべてにおいて言えることです。

これができないと、
きれいとか、きれいじゃないとか、
好きとか、嫌いとかで終わってしまうのです。
それでもいいけれども、
何かその先に向かうのでしたら、
それでは足りません。

あと、きのうもう一つ思ったのは、
そのときにしか見られないもの、経験できないものがあるということ。
きのうの池上本門寺の龍子さんが描いた龍の天井画も、
劣化が進んでいます。
もしかして、もう10年もしたら、危ういかもしれません。
同様に、龍子公園の竹垣も、朽ちてしまったら、
もう同じものは作れません。
機会は利用しておかないと、
次はないかもしれないです。

見ることの蓄積は過小評価されがちですが、
積み重ねていくと、それは大きな力になります。
その力がないことには、
見えてこないからです。
いいものがあっても、目の前で通り過ぎていく。

あと、きのう、池上会館の前にあった大田区のマイクロバスについていた名前、
多いにウケました。
「シリウス」
「ベガ」
「カシオペア」
「スピカ」
でした。

はい、ここで問題です。
「この中で、仲間はずれを1つ見つけて、
正しいものに置き変えなさい」

これ、きのうやっていたんだけれども、けっこうみんなわかっていなかった。
いやいや、大田区よ、これではだめだろうよ。
よく知らないと、こういう間違いをおかすという、いい例でした。

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