2016年11月30日水曜日

「おしゃれ」の意味は変わってきている

ふと思いました。
「おしゃれ」という言葉の意味、
特に洋服のおしゃれということについて、
変わってきている、変わってきたのではないかと。

例えば、自分で生地を買って、パターンを買って(引いて?)、
自分で作る時代の「おしゃれ」は、
今、多くの人が使っているような意味ではないのではないか。

向田邦子さんのエッセイを読んだり、
若いときの写真なんかを見ていると、
そこには真性の、新たに見つけられた「おしゃれ」がありました。
新たに見つけられたというのは、
洋服の世界において、という意味で。

その後、プレタポルテという、いわば既製服がたくさん出てきたとき、
たぶんそれは1970年代ぐらい、
真性の「おしゃれ」はまだ真性のままだったんだけれども、
怪しくなってきたのが、やはり1980年代かもしれません。

そのころ、ブランド物のバッグというのが出てきて、
おしゃれの記号化、情報化が徐々にあらわれます。

で、今はそれがかなり飽和状態になっていて、
記号と情報が先行しています。
ああ、そうか。
記号といっても、それは解読可能な記号なわけだから、
情報という裏付けがなくてはだめ。
だから、情報が広く行きわたる社会でないと、
その「おしゃれ」性は担保されない。

で、ここからは私の予感。
この情報の裏付けのある解読可能な「おしゃれ」は、
また少しずつ変わってくるのではないか。

それは若者がテレビを見なくなったり、
雑誌を買わなくなった現象と関連しています。
共通の認識された情報がなければ、
その記号は解読不可能となり、それまでの「おしゃれ」は解体されるのではないでしょうか。

ブランド物のバッグの、特にそのロゴやマークに価値があるとして、
多くの人が、そんなもの知らないという事態になったとき、
再び「おしゃれ」という意味の解体が始まり、
新しい意味づけがされるような、
なんだかそんな予感がする、11月の終わりです。


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