2016年8月20日土曜日

感覚を言語化する

おしゃれブログにいろいろ書いていますが、
参考文献というものは、「チープシック」を除いては、
ありません。
なぜかというと、
あのブログを書き始める前、おしゃれの法則について書かれた本など、
一冊もなかったからです。
ときたま年号だとか、英語の意味を調べたりはしますが、
それ以外、参考にするものはありません。
すべて私の頭の中に入っているもの、
しかも、「何となくこんな感じ」というその感覚を言語化したものです。

もちろん頭の中に入っているのは今までの蓄積です。
中学生のころからファッション誌を買ってもらっていたので、
そのころからの蓄積と、学校(ブンカ)で習ったこと、
アパレル業界の現場で覚えたこと、
自分が着てみた服、パリやロンドンで見たもの、などで構成されています。
それは一朝一夕にはできません。
もう何十年とやっているのですから。

きのう、ネットの通販を見ていました。
夏の後半から秋にかけて着るトップスを探していたのですが、
何を見ても、これじゃない、これじゃないと、自分で感じるのです。
あんまり、これじゃないばっかりなので、
はて、私は一体どういうものを探しているのだろうかと、
途中で考えました。
この、これじゃない感じって、何がこれじゃないと感じてしまうのか。

実は、ここで言語化しないと、自分でも何がこれじゃないか、
よくわかっていないのです。
何となくはわかるけれども、それだけです。
ファッションの世界というのは、この「何となく」が多いのです。

けれども、それを言語化しようと思えば、それはできます。
きのう私が探していたのは、
「1枚でさまになるトップス」なのでした。
だから、ただ上に着るものという機能を果たせばいいというわけじゃなく、
シャツ1枚で出かけるので、
それだけ着てさまになるもの、絵になるものを探していたのです。
つまり、それはインナーとしてのトップスじゃないということ、
とにかくそれ1枚で出かけたいということ、
私が探し続けていたのは、そんな1枚でした。
で、そんな1枚はあんまり売ってないのでした。
(そのほかは素材と色をチェックしていたので、なおさらない)

この「何となく」を放っておくと、先に進めません。
私は何度となく、
「何となくわかったような気がします」というせりふを聞きましたが、
それは、要するに、わかっていないということです。
わかったような気がしているだけで、
言語化する作業を怠っていると、
結局、それはわからずじまいになります。

日本に入ってきた西洋の服は、
この「わかったような気がする」感覚だけで、
何十年もやってきました。
その結果が今です。
結局、よくわかっていなかった、
わからないままこれだけ広まった。

無意味な消費という意味では経済に貢献しますが、
文化的な発展にはつながりません。

服をたくさん所持してしまう理由も、
何枚買ってもおしゃれにはならない理由も、
ここら辺にあるのではないでしょうか。

要するに、それは単なる消費で、文化ではなかったのです。
そうならないためにも、
感覚を言語化することは必要です。


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