2016年5月19日木曜日

我を忘れるためには

関心があることがない、
趣味がないという人に共通しているのは、
余りに楽しくて何かに没頭した経験の欠如だと思います。

この「没頭」ですが、
ほかの表現では、
我を忘れてとか、
無我の境地とか、
いろいろあります。
共通しているのは、自分を忘れる、
自分を超えた状態に入る、ということです。

最も充実感があるのは、
「楽しい」でも「わくわく」でもなく、
我を忘れて、です。
自分の殻から完全に抜け切り、
その対象物と一体化するぐらいまでになる、
そういう体験を一度でもしたならば、
それはやめられなくなります。

例えばこれを恋愛として、誰か人を対象にする方もいらっしゃるでしょう。
「大恋愛」と呼ばれるものはそういったものです。
しかし、「我を忘れる」というのは瞬間であり、
永遠ではないので、そんな恋愛が長続きする、というわけではありません。
その瞬間を再び経験したくて、執着になってしまう場合もあるでしょう。

我を忘れるという瞬間は、
芸術家やアーチストにとっては必須というか、
例えば演奏する人や演技する人には、
いつも作りださなければならない境地ですが、
そんな芸術家やアーチストではないとしても、
普通の人が趣味に興じたり、何かの作業に没頭するとき、
それを経験することは可能です。
趣味といっても、それはさまざまで、
スポーツや車の運転という場合もあるでしょう。
(ただし、「食べることが趣味」というあれは、違うと思う。
「眠るのが趣味」も違うでしょうね)
それは人それぞれでいいのです。

では、何をやれば、我を忘れることができるのか。
(もちろんドラッグはだめです)
それはいちいち試してみないことにはわかりません。
これがそうらしいよ、
あれがそうらしいよと誰かが言ったとしても、
万人にとってそれがそうだとは限らない。
それぞれ個性があるように、
我を忘れる対象というものは、
人それぞれ違うのです。

試してもいないのにそう言っているとしたら、
それは怠惰です。
「私、何にも関心が持てないんです。だって、怠惰だから」
そういうことを宣言しているにすぎません。
残念ながら、そう言っている人に魅力を感じるのは不可能です。
ありていに言えば、凡人です。
我を忘れた状態で作られていない芸術に感動しないのと同じこと。
それは凡人が作ったものですから。

我を忘れてなににつながるかと言ったら、
それはユニバースでも、神の境地でも、
いろいろな言い方があります。
サマディ、三昧でもいいです。
とにかくその境地に立つまでは、
試してみなければならないのです。

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