2016年4月8日金曜日

成長は階段のように


成長というものは、なだらかな坂道のようではなく、
階段のようです。
一段ずつ上がっていって、フラットな場に出られたら、
そこは階段の終わりではなく、踊り場。
確かにそこではひと息つけて、前よりも楽です。
けれども、進むためには、また次の踊り場へ向かう階段が出現します。
成長とは、この繰り返し。
残念ながら、終わりはありません。

よく山にお寺さんがあって、
長い階段をのぼっていった先にやっとついたと思ったら、
その先に奥の院があったみたいな、そんな感じ。
どこまで高くのぼってもつきません。

人生はそれを面白いと思うか思わないか、
またはその階段を上る道を選ぶか選ばないか、
の差だと思います。
どちらでも選べます。

きのうふと思ったのは、
世の中には、この階段の入口までのテクニックについては広く教えられているけれども、
その先どうしたらいいかについては驚くほど少ないな、ということです。
例えば大学に入るための受験勉強。
例えば、結婚するための活動の仕方。
けれども、大学に入ってからの勉強の仕方、
結婚してからの維持の仕方については、多くを語られてはいません。
入ってしまえば、
してしまえば、それでいいと思われている。
実際はその先のほうが長いのに。

結局、そんなの教えてもお金にならない、からなのでしょうか。

だから、成長の問題も置いてけぼりです。
そして私が常々感じる差とは、まさにその差です。
入口の差ではなくて、
その先の階段をどこまでのぼっているか、
どうやってのぼっているかの差。

入口ばかり問われる社会ですし、入口ばかりを気にする人たちも多いです。
どこの大学を出たのか、結婚しているのかしていないのか。
けれども、本当はそこにはそんなに差はない。
その差の開きのほうが、実は大きい。
しかもその差は、年齢とは比例しません。

入口に固執している人たちは、
実は、人生の責任を放棄しているのだなと思います。
なぜなら、自力で階段をのぼろうとはしないから。

そんなことを考えつつ、
そろそろ桜も終わりそうです。


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