2015年11月10日火曜日

「物語」を生きるかどうか

これはずっと前から思っていたことです。
占星術でその人の出生のホロスコープを読みます。
そこには可能性、才能、解決すべき葛藤などがあらわれていて、
それはその人自身の物語のようなのですが、
その物語を100パーセント生きている人は、
ほとんどいません。

それは例えば、あてがわれた鉱山に金、銀、ダイヤモンドが埋まっていたとしても、
全然掘っていないのと同じ状態です。
ホロスコープの出生図は、何もしなくても発動するものもありますが、
その多くは自分で掘らないことには、
実現しないものです。

それぞれが、自分自身が主役の物語を携えて生まれてきます。
だけれども、その物語を開くことなく死ぬ人も多くいます。
持参してきた物語は、
波乱万丈で、いいことばかりが起きるわけではないし、
困難を乗り越える努力を要求するものだけれども、
その物語を生きることができれば、
主人公は自分が生きているという実感を持つことができます。

物語を生きるか生きないか、
それは選べるらしいのです。

自分の物語を生きるようになると、
「視点」が変わります。
他人より、社会よりだったものが、
自分中心になります。
他人の目など、気にしている場合ではありません。
社会のおしつけるやり方や価値観など、
もはや通用しません。
それは誰も生きたことのない物語なので、
自分で道を切り開くしか、ありません。

では、どういった人が自分の物語を生きるのか。
自分の意志や、情熱の場合もあるでしょうし、
環境がそうさせる場合もあるでしょう。
出会いや別れの可能性もありますし、
さまざまなヒーリングもこれに寄与します。
(私がやっているセッションも、このためにあります)

一度、自分の物語を生き始めたら、
やめるわけにはいきません。
なぜなら、こんなに面白いことは、ほかにないから。

私が思うに、ですが、
「引き寄せ」とか、「自分の思考を実現する」というのは、
本当のその人の物語じゃないですね。
そこには、畏怖みたいなものがないでしょ?
かわりにあるのは、その人が世界を作っているという全能感でしょ。
それにこだわっている限り、
本当に面白いものはやってこない。

畏怖、神秘、信仰、ゆだねること。
大きな存在の力をお願いすること。
そういう物語のほうがスケールが大きいです。

だから、予想外のことが起こるんです。
先は読めないのです。
来週の予告も出ません。

最近、いろいろな人の始まった「物語」を聞いていて、
それがそれぞれ本当に面白いです。
テレビドラマや映画を超えている。
主人公の目は輝いている。

もう誰も後戻りはしません。


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