2014年7月26日土曜日

「鏡の法則」とラカン

ちょっと忘れてしまいそうなので、そしてシェアしたいので。
ラカン先生が教えてくれていますぞ。

「主体は鏡映しの立場をとり、それによって相手の行動を見抜くことができます。しかしこの方法自体すでに間主観性の次元を前提にしています。というのは、主体は、目の前にいるのが原則的に自分と同類の他者だと知っていることが前提になっているからです。(・・・)この丁半ゲームが双数的関係、相手との等価、「アルター・エゴ(他我)」と「エゴ」という水準だけで行われているならば、決して第二の段階へと到達することはないということはすぐお解かりでしょう。」
ラカン、「丁か半か、間主観性の悲願」、『自我(下)』岩波書店、11、12P.

つまり、「鏡の法則」にとらわれているなら、第二段階、つまりもっと重要な段階へはいけないよ、ということです。
他者を鏡にして、そこに自己像を見るのは「幼児」だと先生はおっしゃってますよ。
だから、何か目の前に変な人や事象が出現して、それを誰かに、
「それはあなたの鏡です」みたいなことを言われたら、
「いや、私、もう鏡像段階は卒業してるから」と言えばいいですよ。
で、相手が、
「なんですか、それ?」と言ったら、
「私はあなたよりラカンを信頼してますから。もう幼児ではないってことです」と言えば、
相手は理解できないでしょう。
ラカン先生、ありがとう。

以上、今日のシェアでした。
では。