2014年6月20日金曜日

gifted

今朝はさっきまでフェイスブックでメッセージのやりとりをしていまして、
今日、地方からこちらへやってきて、
私と江ノ島へ行って、そのあとセッションをする約束になっていた方が、
知人に今、鎌倉のアジサイがきれいだと聞いたのでそちらへ行きたいということで、
私との約束はキャンセルするかもしれないということでした。
ま、そういうことをやる人はしばしばいます。
たぶん、そっちのほうが「ハッピーだから」という理由でしょう。
ハッピー至上主義の方ですから。
約束よりハッピーが大事なのです。至上主義者とは、そういうことです。

今日のお題のgiftedですが、
英語で才能のある人のことをこう呼びます。
つまり、才能とは贈り物だということです。
それを受け取った人がgiftedです。

ここのところ、内田樹先生の本をまとめて読んでいるのですが、
先生は「贈与論」ということをよく書いています。
その中で、
才能とは与えられたものなので、
それは次の誰かに渡さなければならないものだということを、
繰り返して先生はおっしゃっています。
そして、もしその才能を誰かにパスしないのならば、
その才能は枯渇するだろう、と。

才能に限ったことではないのですが、
ポスト・グローバリズムを見つめて、
もうこの贈与しか、残っていないだろうということです。
贈与なので、通貨との交換ではありません。
そのままストレートに渡します。

この贈与論ですが、私が前から言っていることと、
半分ぐらいは似ています。
つまり、エネルギーを奪うだけで、そこで止めているならば、
もうそこには戻ってこないでしょうという話です。

案外、ここでどつぼにはまっている人を多く見かけます。
誰かに対して無料で「あげる」という行為が嫌な人たちがいます。
等価交換、もしくは多く得る、それでなきゃ嫌であると。

エネルギーは循環していますから、
出したらそれはいつか戻ってきます。
ただ、そこには時差があります。
すぐにではありません。
それに対する信頼がないから、
よけいにさし出すのが嫌なのかもしれません。

一度した約束を、自分のハッピーのために反故にするならば、
そこでエネルギーはとまります。
戻ってはきませんから、
その人が受け取るときには、何かしらの等価のエネルギーか、
もしくはそれ以上をさし出す必要が出てきます。

内田先生は、よいパッサー(渡す人)であれと言います。
私はサッカーには興味がありませんが、
サッカーではよいパッサーであることが、
もっとも価値の高いことだそうです。
たしかに、受け取ったボールを独り占めしていたのでは、
ゲームにはなりません。

というわけで、私もよいパッサーであることを目指したいです。
エネルギーの循環を断ち切ることは、しません。

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