2014年5月9日金曜日

ジュエリーについての考え方

きのう、いらない雑誌の整理をしていたのですが、
「シンプル・ライフの知恵袋」という雑誌を捨てようかどうしようか考えて、
中を再び見てみたら、ドミニック・ローホーさんのつぎの言葉が目にとまりました。
「私のモラルは、自分を含む周囲のすべての人たちを穏やかな気持ちにさせること。
自分をキレイにすることは、相手にも明るさと幸せを運びます。
(中略)
私にとってたったひとつのアクセサリーは、欲望ではなく、生きるための必需品です。」
引用終わり。

これは「アクセサリー」というくくりで、
いっしょにダイヤモンドのピアスの写真とともにつづられていた言葉です。
ここでは、アクセサリーという言葉づかいですが、
「たったひとつの」という言葉がかかっているところから見て、
ジュエリーのことをさしているのだと思います。
(たったひとつのと書いているのだけれども、
ローホーさんご自身の写真は、ピアスとおそろいの指輪もなさっています。
ひとつの、じゃなくて、1組なのかしら)

アクセサリー(ジュエリー)が、生きるための必需品であるとは。
今まで、そんなふうに考えたことはありませんでした。
必需品であるということは、それがないと生きていけないということ。

少なくとも、日本においては、
ジュエリーはなくても生きていけるものなので、
必需品じゃありません。
それがないと生きていけない、
または社会的にやっていけないのだとしたら、
多くの人が死んでいるか、社会的に認められないことになりますが、
日本では、そんなことはありません。

西洋文化の中でのジュエリーの位置づけと、
日本でのそれとは明らかに違います。
けれども、アジア全体を見ると、
もしかして、ジュエリーは必需品という文化の文脈の中で生きている人たちは、
多いかもしれません。
4,5歳ぐらいの女の子がピアスをする文化は、アジアにも多くあります。
逆に、日本では、ジュエリーとはこうでなければならないというルールがありません。
それはよくも悪くもあるけれど、自由という意味ではよかったです。
必需品とかいう話になって、
それをしないと認められないのよ、みたいになったら、
それはそれで困ります。

ジュエリーについての考え方は、
人や文化によってさまざまなので、
絶対というものはないと思います。
であるからこそ、いろいろな人の考え方を知っておくということは大切です。
いつでも違う見方、考え方があって、
何が正しいとか、間違っているとかはないと知った上で、
自分はどうするのか、決めればよいのだと思います。

 ☆「ファッション・レッスン」等、各種セッションのお知らせはこちらです。