2014年4月17日木曜日

もはやパソコンは少数派

毎回ではないのですが、このブログを見ている人が、
どうやってアクセスしているかのトラフィックのチェックをします。
そこで最近、なにか傾向が変わっているような気がしてチェックしてみたら、
現在、このブログを見ている人の4分の3がアイフォンなどのスマートフォン、
またはタブレットでした。
なんらかの形でパソコンから見ている人はもはや4分の1です。

これを今、読んでいる人の中でも、
パソコンは持っていないという人も多いだろうと思います。
ここのところ、個人でパソコンを持つ人の割合は激減していて、
きっとごく一部の少数派になるのでしょう。

ソフトなんていうのもほとんどクラウドになって、
自分で買う必要がなくなってくるのかもしれません。
アクセスさえできればいいわけですから。

私も先日、雑誌をタブレットで読んだほうがいいかしらと思って、
少し店頭で見たのですが、やっぱりタブレットは雑誌を見るには小さいです。
せいぜいこのノートパソコンぐらいの画面で見ないと、
見た気がしません。

音楽については、これがもっと進んでいて、
昔はレコード、そしてCDになって、
今はダウンロードです。

文字情報はいいです。
小さくしても、ダウンロードにしても、
内容自体は変わりませんから。
だけれども、絵や写真が小さくなったり、
音楽のように、ある音域がカットされると、
もうその時点で初期のものとはどんどんかけ離れたものになります。

大きいところから自分が小さく拾うというのはいいです。
だけれども、もとからもうすでに小さくカットされているとすると、
絶対抜け落ちるものがあります。
それはちょっと危険ではないかと思うのです。
(という同じ話をきのう、ヤッシーもしていました)

フェイスブックだけで会いもしない友達も同じかも。
もはや情報でしかない。
会ってもいないのだから、それ以上のことはわからない。

削られて、骨だけになった情報にふれて、
わかった気分になるのは危険です。
フェイスブックでつながったからって、友だちじゃありません。

で、この見えない、聞こえない、書いていないことを見抜く力は重要です。
社会の流れに流されたままだと、
ここが退化してしまいますから、気をつけないと。
おいしいと感じるけれど、添加物だらけだとか、
安い服だけど、有害な物質の染料が使われているとか、
簡単にだまされます。
(つまり、感覚は自分自身をだますのだ)

パソコンを持たないのは別に悪くはないと思いますが、
(だって、大勢の人にとって、いらないものね)
だからといって、見たような、聞いたような、行ったような、
そして知っているような気分にならないように、
お互い気をつけたいものです。


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