2013年6月8日土曜日

デザイナーの落日 その2

だけれども、そろそろ運だけでやってきた彼にも限界がきたのでしょう。
あるとき、仲良くしていたプレスのお姉さんと一緒に表参道のハナエモリビルのカフェで、
ファッション・ジャーナリストと名乗る女性とのミーティングに行ったことがあります。
彼の作品についての記事を書くとのことで、短いインタビューでした。

まだファッション業界では人気があるのだなと、そのときわたしは感心したのですが、
後に、そのプレスのお姉さんに話を聞いたら、
その自称ファッション・ジャーナリストの女性は、ブランドから、
その当時、月20万だったと思いますが、
お金をもらって、それで記事を新聞や雑誌に書いているということでした。
お金を出して記事を書いてもらうしか、もう方法は残っていなかったのです。
実際、服は売れていませんでした。

そのうち、業者さんから、このブランドは間もなく潰されるという情報が入ってきました。
会社では、「ボーナスはなしだって!」と叫びながら、
事務のお姉さんがデザイン室に入ってきました。
それを知ったデザイン室にいた上司は、退職を決め、すぐにやめてしまいました。
その時点で、デザイン室にいたのは、その筆頭のデザイナーと、
もう一人、ワールドに長年勤めていて、最近入ったばかりのニット・デザイナー、
それとブンカ出身の一学年上の先輩とわたしという、
4人のみでした。
ふつうに考えても、4人で東京コレクションに出るなんて、無理です。
しかもわたしは新卒、一学年上の先輩は2年目なのです。

おせんべ1枚、人におごらないようなデザイナーの彼には、
人徳などありません。
人はどんどん離れていきます。
新卒のわたしと2年目の先輩で必死に仕事を片付けても、
いくらやっても終わりません。
しょせん無理な量なのです。
それでも、その無理なメンバーで、外注さんを使いながら、
1度は東京コレクションに参加しました。
けれども、もうそれが限界でした。

いよいよ、半年後にその会社はなくなるだろうと、
まわりの人々から口づてに伝わってくるようになりました。
誰か人を入れてくださいと、部長と呼ばれる上司に頼んでも、
聞き入れてはもらえませんでした。
そうでなくても赤字の会社です。
新たに人を雇うお金など、もう残ってはいません。
残業代など出さない会社で、毎日遅くまで表参道のアトリエに残る日々が続きました。
晩御飯を食べる時間さえありません。
土曜日も休みではありません。
華やかな街の片隅で、ひもじい思いをして、
やってくる業者さん以外の人と会う時間もなく、
昼過ぎに気まぐれに出社してくる、不機嫌なデザイナーを待ちながら、
仕事以外のことすべてを捨てて、頑張っている20代の2人がいました。

技術を教えてくれる人もいない、時間ばかりとられる、残業代は出ない、
勉強したり、ほかのデザインを見に行く時間もない。
「ブンカの発表会じゃないんだから」と、わたしはよく思いました。
こんな環境では、ブンカの発表会以上のものはできません。
そんなふうに疲弊していくわたしたちは、やめるよりほかありませんでした。
わたしと一学年上の先輩は、
次のコレクションの準備に入る前に一緒にその会社をやめようと話し合いました。
そしてわたしたちがやめて半年後、その会社は、ほんとうになくなりました。

あれからずいぶんたちました。
あのデザイナーは今、何をしているのでしょうか。
ときたま、気になって、検索してみたりしますが、
過去の情報は上がってきても、現在の活動は確認できません。
事務所の名前は出てきますが、ホームページは存在しません。

今ごろ彼はきっと、自分がまいた種の結果を回収しているのでしょう。
それがどんな方法でなされているかはわかりません。
デザイナーとして復活することは、もうないと思います。
それともまだ、そんなことを夢見ているのでしょうか。

東京の灰色の空の下、自分で降らせた冷たい雨にあたりながら、
戻ってくる多くの言葉に、
投げかけられる冷やかな視線に、
身を小さく縮めて、どこかにひそんでいるのでしょうか。
でもそれらはすべて、全部、彼が放ったもの。
ほんとうのところはわかりません。

いずれにせよ、忘れ去られたデザイナーの落日は、
彼がいつも注文していた、小さなカップのエスプレッソの苦さのように、
彼の人生に訪れていることでしょう。
あのときのように、カップの底に残るほど、スプーンいっぱいのお砂糖を入れても、
ごまかすことはできないはず。
その苦味を飲みほしたかどうかはわかりません。
風が噂を運んでくることも、もうないでしょう。